卒業後から20代のころ 編

 卒業してからの2年間は、昼間は大学でテキスタイルデザイン科の副手として働き、夜と休日に作品作りをする日々を送っていました。
デザイナーやイラストレーターを目指している友人には東京に上京している子も多く、広告業界の華やかで楽しそうな話を聞いていると、私もその世界に入ってみたくなり、作品の方向性もおのずと広告寄りなものになっていきました。

 何しろ卒業したての無名な作家なので、まずは作品を見てもらおうと思い個展を計画。
当時アメリカ村にあった今はなき現代美術画廊『ギャラリーview』で初めての個展をさせていただきました。

私は、本当に『ギャラリーview』が大好きで、あの空間も来てる人たちも憧れでした。
自転車で通える距離にあったので、しょっちゅう遊びに行っていました。
オーナーの尼子さんは、デザイン事務所も経営していて、将来についての相談や、作家さんたちと一緒に食事に連れて行ってもらったり、グループ展に参加させてもらったり、ホントに20代の頃はよく可愛がっていただきました。

 初めての個展は、会場をワンルームの部屋に見立てて、ベットも床も家具も全てフェルトで作りました。
靴を脱いで上がってもらい、布だけで作られた部屋の空間を楽しんでもらうコンセプトです。
もちろん土足厳禁です。(笑)




 たまたまサントリーのデザイン部のアートディレクターさんが通りすがりに見にきてくださり、その場で
「今年の御堂筋パレードのサントリーのショーウインドウを担当してみませんか?」
とお仕事の依頼をしてくださったのです。
初めての仕事の依頼が「サントリーのショーウィンドウ」ですよ。しかもギャランティーが100万円!
当時24歳だった私は、若さゆえの何も怖いのも知らずの新人でした。


 フェルト生地でテレビをいっぱい作って、その中に本物のブラウン管をはめ込み、歴代のサントリーのCMを放映するというデザインを考えて、施工さんに作ってもらいました。この作品は、大阪観光協会会長賞を受賞しました。

初めての仕事で、よくよく話を聞くと、私がデザインした立体を施工してくれる会社は、毎年サントリーのウインドウのデザインを引き受けてる施工会社で、その年は突然私がデザインすることになり、会社としては、いい気持ちがしませんよね。
当初は、会議でアイデアを話しても彼らに鼻で笑われるだけで、最後まで、ちゃんと仕上げてくれるのかが疑問だったけど、若くて勢いだけはあったので不安はありませんでした。反対に初めての仕事で何もわかっていなかったからかもしれません。 
とてもいい経験になりました。 

そこから、色々とショーウインドウの仕事の声がかかるようになり、フェルトで大きな作品を作っていました。

阪急ファイブ

四条河原町 阪急百貨店


池袋 三越

同時に広告や雑誌の仕事も来るようになって、フェルトで立体物を作る作家のようなイラストレーターのような位置で仕事をしていました。

当時の作風


全国規模の広告や雑誌の仕事は東京が中心。とにかくいろんなデザインの仕事がしたかったので、 26歳で上京しました。

当時担当していた仕事



 
 INAXのカタログ表紙


レタスクラブ ムック表紙



オズマガジンのムック表紙(年4回、3年間担当しました)


技術家庭教科書ワーク

 地方の美大出身者は、東京のデザイン業界とつながりがとぼしく、 当時は、SNSもメールのない時代。 売り込みは、毎月ポストカードを作って ADC年鑑に載っているアートディレクター宛に郵送したり、 直接電話して、ポートフォリオを持って売り込みに行ったりしていました。
 なんかね最近、同じ年代の地方出身で東京で活動しているデザイナーやイラストレーターに会うと、「よくお互い頑張ってきたよね!」っと肩を抱き合いたくなるのです(笑)

私が駆け出しの頃からすでに第一線で活躍されていた布系のイラストレーターといえば、刺繍イラストの さか井美ゆき さんがおられます。
関西出身の方で、私よりも先輩なので、残念ながら面識がないのですが、布を使う刺繍イラストのパイオニアとして尊敬しています。
もっと以前から布を使った表現でデザイン業界で活躍している先輩をたどれば、コスチームアーティストのひびのこづえさん、月刊絵本「よいこのくに」の藤田桜さん、アップリケ作家の宮脇綾子さんにも敬意の念を抱いています。

先人が築き上げてきたからこそ、今の私の仕事があると思っています。

 つづく…

大阪芸大生の頃の作品 

先日、実家の片付けのために大阪に帰省。

もっぱら、実家は学生時代の作品置き場になっていたので、 久しぶりに作品とご対面。

大阪芸術大学では、染織を専攻していたので、 作品自体はもう残っていないけど、ポートフォリオがたくさん出てきたので、
懐かしくて見入ってしまう。

課題が忙しくバイトもできず、芸術のことだけ4年間みっちり考えて制作できる期間というのは、
人生でとても貴重で必要な期間だと思います。
社会に出れば、仕事のことを考えての作品作りばかりになってしまうので、美大芸大に行っても無駄という意見も聞きますが、
この無駄な時間こそが、あとあと長いスパンで作品を作るときに大きく考える力になるんだと感じます。
そして純粋な感覚を持っている18〜24ぐらいの年齢で体験することも重要。

せっかくなので、学生時代のことを書き記しておきたいと思います。

特別に裕福な家庭でもなく、ごく一般的な家庭で育ちましたが、
両親は芸事に寛大で、美術の方に進みたいと言ったらめっちゃ喜んでくれる親でした。
当時の思い出で、テレビでブレイクダンスを踊っている男の子が映ってて、
おもむろに母が「男の子でダンスしてたら、ニューヨークに行かしたるのになぁ」と行ったことの無いのに言ってるのを聞いて、
あぁ私も子供ができたら、芸事に面白がる親になろうと思いました(笑)

中学生の頃は、テレビ番組のセットを作る仕事が夢で、
もうこの頃から、大阪芸大に行くと決めていました。
高校に進学すると、デッサンと色彩構成を学びに美術予備校に毎日通い、
デザイン学科に合格するぞ!っと頑張っていた高校生活でした。

受験では、推薦、一般でも不合格になってしまい(当時、デザイン学科は倍率13倍!)、
滑り止めに受けた短大のデザイン科にも落ちてしまいました。
浪人は許されなかったので、
「2年間、予備校で頑張ってきたのに、専門学校か〜(涙)」と、かなりの落ち込みでした。

最後の最後の一般試験で、深く考えずに選んだ大芸の工芸学科染織に合格することができて、この時ばかりは、泣きましたね。救われたと。


「染織って着物のデザインとか楽しそうやん」と浅はかな感覚で入学した工芸染織専攻は、いやはや考えてたものと全く違った世界でした。

なんとなくカルチャースクールの延長線に思われがちな、染織。

私の通った大阪芸大の染織は、バリバリのファイバーアートか、民俗学か、の世界で、
染織知識ゼロの私は、「ファイバーアートって何なん?!」ですよ。
しかも化学染料をあつかうので、講義の選択に 「化学」 が必修。
絵しか興味ないのに、化学って!全然、化学式覚えられへんし、毎日染料使うから、手袋してるみたいに手首から指先まで染まってしまうし、 もう染織受験したのが間違いだったと2回生ぐらいまで思っていました。(着物なんか全然作らへんし)

でも学校にも制作にも慣れてくると、なんとなく月1回の作品合評会では、発表するからには、やっぱり一目置かれる作品を作りたくなるじゃないですか(笑)

当時、ジャージ生地の伸縮性が面白いなと思って、中に金属の棒を入れて突っ張らせたり、ルーズソックスからヒントを得て、紙菅に通してクシュクシュにしたりして、ジャージの可能性を追求していました。
こんな、一般から見るとどうでもいい可能性を永遠と作業してられるのも学生のいい所ですよね。
今だったら、絶対にしないけど(笑)

月一回合評で発表するために、朝から晩遅くまで、学校で制作していました。
当時の面白エピソードで、
先輩がどうしても作品が間に合わなくて、夜、教室にある織り機を解体して、下宿に持って帰り、部屋で組み立てて作品を織りあげて、
早朝、こっそりと教室に織り機を返すという荒技をしていました。
合評に間に合わないというのは、学生にとって恥であり単位を落とすので、皆必死なのです。

卒業制作の作品は、研究室賞を頂くことができ、その後ファイバーアートの作家として作品を作り続けるか、就職するか、当時、華やかだったイラストレーションの世界にも興味を持っていて、内藤こづえ(ひびのこづえ)さんが活躍し出した頃だったので、布でイラストレーションの仕事がしたいなとも思っていました。

迷いすぎている時に、
教授が「副手の空きがあるから、やってみない?」とお誘いしていただいて、大学で2年間働くことになりました。

つづく...

・大阪芸大時代の作品。こんなん作ってました〜。素材は全て、ジャージです。




タイトル『 NEO BODY 2 』


「天に向かって、めいいっぱい体を突き出し、ねじりながら熱い呼吸をしている。
その7本の物体は、人間を高次元へと導くアンテナであり、時としてそれを拒む、堅く閉ざされた門である。」

今、読むとかっこよすぎる説明文ですね(笑)作品作るなら自分の体よりもでかいのでしょ!と言う学生時代。当時は、ボーイッシュなショートカットでした。

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ルーズソックスからヒントを得た作品。2.5メートルの紙筒に二色のジャージを縫い合わせた布を履かせています。
タイトル『PULSATORY MOTION』



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この赤い作品の中身は、蛇行状に形成した金属棒にチューブ状のスチロールを刺して、ジャージを履かせています。大きさは、5.5メートルあります。


この作品のコンセプトも読んでやってください。

「シャーリングの波の中に、巻き付くようにヒレ(縫いしろ)が、うごめいている。そのうごめく様は、生物の器官をイメージさせる。」

今読むと、恥ずかしいのを通り越して、可愛らしくすら感じます(笑)

cat collar No.33

1.5cm幅のギンガムチェックリボンの上下にフリルのギンガムチェックを縫って、時計のボタン+パールを組み合わせました。
ちょっとモノクロ風。

black cat collars book

ジュウハンさん首輪の作品集 「クロネコと首輪」 が出来上がりました! 写真とイラストのZINEです。
8月24日(土)・25日(日)「にゃんだらけ8」で店頭先行発売します。
【出展名】じゅうはん書店 【ブース】 B40
浅草にお散歩がてら、ぜひ遊びにきてください♪
★10月12日「ニャンフェス10」にも出展します

cat collar No.32

9cm幅の綿レースをたっぷり使ってプリーツ首輪を作りました。シノワズリな雰囲気で撮影。

cat collar No.31

レースとソフトチュールプリーツのブレードで首輪を作りました。黒猫さんはビクトリアン朝の襟がよく似合う。

seiko tanabe

数年前に、田辺聖子さんの装丁画を4点担当しました。私も大阪出身なので決まったときは、ひときわ嬉しかった。
たくさんの素晴しい作品を残してくださり、ありがとうございます。 ご冥福をお祈りします。

cat collar No.29, No.30

緑×赤のリボンを見つけたので、グッチな首輪にしてみました。ビット型とリボン型です。
最近のグッチ、キテレツやりすぎ感、大好きです。

novelty goods multi case 2

高島屋友の会「マルチケース」のお仕事。継続ご入会された方に、チケットやマスクなど幅広いアイテムを収納できるマルチケースがプレゼントされます。

hummingtime 2019・05・06

高島屋友の会会員誌「ハミングタイム5・6月号」表紙画のお仕事。 特集は「旅するミツバチ」。ハチミツ色の布を貼った上に、白い糸でザクザクと瓶の形を刺繍しました。

moleskine sketch

スチームパンク風の首輪、制作イメージスケッチ。日焼けした紙を台紙に使いました。スチームニャンク。

cat collar No.07 again

4月13日は「ボーイスカウトの日」 以前作ったボーイスカウトの首輪を再び撮影。カブスカウトから進級したおキャット隊長。

cat collar No.28

グレンチェックの生地とキルトスカートのベルトで、変形型制服風の首輪を作りました。片襟から繋がるチェーンがポイント。
さよ〜にゃら、平成。

moleskine sketch


ねこ首輪制作のイメージスケッチ。カンフー編。材料メモなど。

cat collar No.27

バレンタインデー→タータンチェック→キルトスカート→本場では男子が履く。ということでキルトスカートな首輪を作ってみました。
キルトピンも装着。ハッピーニャレンタイン❤️